時代劇や大河ドラマなどで歴史上の人物が取り上げられますね。
服装や街並みなど、教科書からだけでは想像しにくいことまで細かく描かれていて、観ていてお勉強になります。
ところで、大河ドラマなどを観ていて、ふと、
「この人の子孫っているのかな?」
「○○家の系図ってどうなってるのかな?」
なんて思ったことはありませんか?
芸能人の方でも、「○○の子孫」や「○○の末裔」などと紹介される方も多いですよね。
そこで今回は、江戸幕府最後の将軍、第15代将軍徳川慶喜の子孫や系図に焦点を当てて、見ていきましょう。
目次
判明!徳川慶喜の曾孫は徳川慶喜家の系図で最後の当主だった?!

徳川慶喜の子孫家系図でひもとく慶喜の人間模様
徳川慶喜は、徳川宗家を継がずに独立した「徳川慶喜家」を立てました。
つまり、この徳川慶喜家において慶喜は一代目当主ということになります。
徳川慶喜にはなんと21人もの子供がありましたが、子供たちがみな慶喜のように子沢山になったわけでもなく、男児をもうけられたわけでもなかったため、途中で血が絶えたところが大半です。
その中でも2017年まで続いたのが、慶喜の七男、慶久の系図のところでした。
徳川慶喜家第二代当主として慶久(1884-1922)、
徳川慶喜家第三代当主として慶光(1913-1993)、
徳川慶喜家第四代当主として慶朝(1950-2017)、
と続きました。
第四代当主慶朝さんの死を持って、徳川慶喜家の嫡流は断絶したということになります。
この慶朝さんには子供はいなかったのかというと、います。
それも3人!(男2人、女1人)
では、なぜ慶朝さんの息子が徳川慶喜家当主を継がなかったのでしょう?
慶朝さんの奥方も、これまた血筋の良い方で、明治期に活躍された外交官長岡護美の末裔でした。
奥方の方が家の存続、血の存続にご熱心だったのでしょうか?
慶朝さんと離婚後、子供をすべて引き取り、次男を長岡家の正式な跡取りとしました。
長男を跡取りにしなかったのは、元夫の家、徳川慶喜家の存続にと考えたからなのかもしれませんね。
しかし、慶朝さん自身、徳川慶喜家の当主というのが重荷だったのでしょうか。
次の世代にまで残す必要はないと、次期当主を指名しなかったのです。
こうして、徳川慶喜家は四代でもって断絶しました。
徳川慶喜家は断絶しましたが、まだまだ徳川慶喜の血は生きています。
現に徳川慶喜家第四代当主慶朝さんのご子息がご存命なわけですから、これからも徳川慶喜の血は続いていきます。
徳川慶喜の子孫の現在は?曾孫は靖国神社の元宮司だった?!
ところで、徳川慶喜には21人もの子供がいましたね。
本当は25人いたのですが、4人夭折しています。
まだまだ医療が進んでいなかった時代に25人中21人もの子供が立派に成人したというのは、すごいですね!
では、その21人の子供から生まれた子供、更にその子供たちは今何をしているのでしょうか?
先に話に上がった、徳川慶喜家の第四代当主慶朝さんは、大の珈琲愛好家、珈琲研究家として知られていました。
「徳川将軍珈琲」なる珈琲を販売していたほどです。
今現在存命の徳川慶喜の曾孫たちの多くは、サラリーマンをしています。
曾祖父の「将軍」という地位から考えると、サラリーマンは実に平凡な職業に思えてきますが、今のご時世そんなところでしょう。
そんな中で一風変わった職業に付いていた人がいました。
徳川慶喜の九男誠の孫、康久さんは、靖国神社の宮司をしていたのです。
任期は2013年から2018年ということで、ごく最近の話です。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
21人もの子供をもうけた徳川慶喜でしたが、自身が第一代当主となった徳川慶喜家は、徳川宗家には及ばず、四代で終わることになりました。
それでも、21人の子から生まれた子、またその子と、徳川慶喜の血は脈々と受け継がれています。
もう数十年もすれば、「徳川慶喜の末裔」という人物が現れるかもしれませんね。
今後の徳川家ニュースにも注目していきたいところです。
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