戦国武将・細川忠興は、肥後細川家の礎を作った人物で、文武両道の美男子であったと言われています。さて、この細川忠興の子孫には、有名人が多いと言われています。
細川忠興の子孫の中には、何と、総理大臣を務めた人物までいるのです!
ここでは、細川忠興の子孫、そして、彼が大切にしていた妻・ガラシャについてまとめました。
目次
細川忠興の子孫に細川護熙元総理も?! 細川忠興の子孫は有名人が多い?!
細川忠興の子孫の中で最も有名なのは、元総理の細川護熙氏でしょう。
細川護熙氏が総理に就任した時、「お殿様」と呼ばれて話題になったものです。と言うのも、細川護熙氏は、細川忠興の子孫だからです。
実際、肥後細川家の第18代当主でもあるため、れっきとした「現代のお殿様」なのです。戦国の世に生きていたら、正に「お殿様」として、肥後の国を治めていたかもしれませんね。
ちなみに、細川護熙氏は、細川忠興の妻・ガラシャの系列の子孫になります。細川家は、忠興の代以降、養子を迎えたりして家系をつないできた歴史があります。
そのため、養子として迎えられた先祖の人物が何人かおり、細川忠興直系の子孫ではないのですね。
さて、細川忠興の子孫の中で最も意外な人物は、孝明天皇以降の天皇です。孝明天皇は、江戸時代末期に即位した天皇ですが、孝明天皇は細川忠興・ガラシャの子孫にあたります。
孝明天皇の生母は、細川忠興とガラシャの間に生まれた娘の子孫です。そのため、孝明天皇以降の天皇は、細川忠興とガラシャの血筋なのです。
更に、細川忠興の子孫には、もう1人、評論家の細川隆元氏・甥の隆一郎氏がいます。両氏は、政治評論家として活躍し、TVで切れ味の良いコメントを繰り広げていたことで有名です。
細川隆元氏の方は、評論家になる前は、衆議院議員も経験しています。両氏共に、政治の世界に精通した人物で、この点は、元総理の護熙氏とも通じるものがありますね。
このように、細川忠興の子孫は、表舞台で日本を動かすような活躍をした人物が多いことがわかります。
これも、文武両道の優秀な武将であった細川忠興のDNAなのかもしれませんね。
細川忠興の妻はキリシタン?! ガラシャは洗礼名だった! 本名は何?!
さて、細川忠興と言えば、妻・ガラシャも歴史上の有名人です。
ガラシャの本名は「玉」と言い、彼女の父は、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀です。
彼女の「ガラシャ」とはキリスト教の洗礼名で、彼女はキリシタンでした。当時、キリシタンは肩身の狭い思いをしていた人が多いと言われています。では、細川ガラシャは、なぜそのような思いをしてまで、キリスト教に傾倒したのでしょうか。
ガラシャがキリスト教に傾倒し始めたのは、父である明智光秀が織田信長に謀反を起こしてからです。この事件の後、彼女は「謀反人の娘」という烙印を押されて生きることになります。
当時、謀反人の家族は、迫害に近い差別を受けながら、苦しみの人生を送るのが常でした。そのような厳しい環境の中、心のよりどころを求めてキリシタンになったのではと言われています。
又、他の一説によると、夫との関係も彼女の苦しみで、これもキリスト教に傾倒した理由だという説もあります。
当初、細川忠興とガラシャは、絶世の美男美女のおしどり夫婦であったそうです。ところが、忠興が妻を愛し過ぎるあまり、彼女を束縛するようになったとも言われています。
このような生活が毎日続き、救いを求めるかのようにキリスト教に傾倒したという話も残っているそうです。
いずれにしても、日々に安らぎを見出せず、救いを求めていたことは確かのようです。
まとめ
戦国武将・細川忠興の子孫には、元総理の細川護熙氏を筆頭に、多くの有名人がいます。著名な政治評論家や、孝明天皇以降の歴代天皇など、そうそうたる顔ぶれです。
そして、今も肥後細川家は、護熙氏を18代当主として歴史をつないでいます。
細川忠興の妻・ガラシャはキリシタンであり、洗礼を受けてこの名前を拝受しました。当時、冷遇されていたキリシタンになった背景には、心のよりどころを求めていた彼女の苦しみがあったようです。
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