PR

斉藤道三の子孫は存在する?!父亡き後義龍も急死!義龍に子供は?

斉藤道三を息子義龍が討つ?その後急死!斉藤道三の子孫は存在する? 偉人・歴史
斉藤道三を息子義龍が討つ?
スポンサーリンク

2005年に放映されたドラマ「国盗り物語」で主人公として描かれていた斉藤道三。

斉藤道三と聞いて、「あぁ、あの人ね!」と分かる人はどれぐらいいるのでしょうか?

僧になったり、油売りになったりと色々な職業に就いた道三が最後に辿りついたのが、武士の道でした。

戦国時代初期に活躍して、「マムシ」の異名まで取った凄い人物!

今回は、斉藤道三についてその凄まじい生涯、子供との不和、子孫などについてまとめてみました!

目次

スポンサーリンク

斉藤道三は土岐頼芸を美濃の守護大名にした忠実な家臣だった?

 

斉藤道三(1494?-1556)は、戦国時代初期に活躍した武将です。

 

しかし、最初から武士だったというわけでもありません。

 

斉藤道三の祖父の代までは武士の家だったようですが、父の代でなぜか宗教に走ったようです。その影響で、道三も11歳の時に妙覚寺に入り、法連房を名乗っています。

 

それから5年も経たないうちに俗世に戻った道三は油売りの娘と結婚し、自身も油売りになります。

 

そして、知人の紹介で美濃守護の土岐氏に仕える長井長弘に仕えるようになったのです。

ここで武士に戻ったというわけです。

 

大そう長井氏に気に入られた道三は、早々に土岐氏本人、及び土岐氏長男(政頼)と弟の頼芸にも紹介してもらえる機会を得ます。

 

この頼芸は大そう道三を気に入り、自分の家臣にしました。

 

 

さて、守護大名土岐氏亡き後、政頼と頼芸の間で激しい家督争いが起きました。これを制したのは兄政頼。しかし、頼芸の家臣道三は黙っていませんでした。

 

自分の主君を美濃の守護大名の地位に就けるべく、政頼を消しにかかります。夜襲で攻め入り、あっという間に政頼を追放してしまいました!

 

こうして無事頼芸は美濃の守護大名になったわけですが、その実権は、父土岐政房に仕えていた長井長弘が握っていました。

 

これを良く思わなかった道三は、長井夫妻をあっさり殺害!

 

長井長弘が土岐氏に道三を紹介したから道三が出世できたにも関わらず、恩も情けも無く、殺してしまったのです。

 

こうした残忍性の高さ、野心の高さから道三は「美濃のマムシ」と呼ばれるようになったのです。

 

因みに、主君頼芸に対して、ずっと忠誠を貫き通していたわけではありません。

 

自分が美濃の守護大名になりたかった道三は、頼芸もあっさり追放し、美濃の守護大名に返り咲きます。

 

油売りの商人が一国の守護大名になる構図はまさに下剋上ですね!

自分が美濃の守護大名になるためにあの手この手を使った美濃のマムシ。頼芸に誓った忠誠心は見かけ倒しのものだったということです。

 

マムシのような家臣・・・

考えただけでも恐ろしい存在ですね!

 

スポンサーリンク

斉藤道三を息子義龍が討つ?その後急死!斉藤道三の子孫は存在する?

斉藤道三を息子義龍が討つ?その後急死!斉藤道三の子孫は存在する?

斉藤道三を息子義龍が討つ?

 

1542年に美濃の守護大名に返り咲いた斉藤道三は約10年後の1554年に守護大名の座を

息子義龍に譲ります。

 

しかし、側室の子であった義龍のことを好いていなかった道三は、その弟たち孫四郎や喜平に守護大名の座を無理矢理渡そうかと考えていました。

 

これには長男の義龍黙っていません。憎らしい弟たち、孫四郎と喜平を殺害して、父道三に宣戦布告します。

 

そして長良川の戦いで父を討ち、義龍は勝利をおさめます。

 

しかし、義龍は持病のためそれから5年も経たずにあの世に旅立ちました。

 

美濃の守護大名の座は、義龍の14歳の息子、龍興に渡ります。

 

龍興は祖父道三や父義龍ほど才覚がなかったのか、あまり目立った活躍もしないまま26歳でその生涯を閉じました。子供はいなかったようです。

 

しかし、斉藤道三には16人の子供があったので、現在でも斉藤道三の血を引く者は

いるかもしれません。

 

みに斉藤道三の子孫で有名なのは、江戸時代中期に活躍した松波正春という人物だそうで、旗本だったようです。

 

スポンサーリンク

斉藤道三の子孫まとめ

 

いかがでしたでしょうか?

「美濃のマムシ」といわれた斉藤道三の生き様、まさにマムシのようでしたね!

 

美濃の守護大名土岐氏に取り入り、まるで主君に忠実な家臣のような振りをして実は自分が美濃の守護大名になるために色々な策略を張り巡らせていたというわけでした。

 

 

斉藤道三の娘は織田信長の正妻にもなっていますが、残念ながら子供は出来なかったようなので、織田信長と斉藤道三というビッグな人の血が流れる子というのは誕生しませんでした。

 

しかし、子沢山でも知られていた道三のことですから、

どこかで道三の血が脈々と受け継がれている可能性は

高いと言えます。

 

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました