新嘗祭とは、毎年11月23日に、その年の稲の収穫を
祝いお供えをして感謝するための儀式です。
そして、同時に、次の年の豊作を神様にお祈り
するための儀式でもあります。
これは毎年、天皇陛下が行っている大事な
宮中行事の1つです。
なので、日本人なら、新嘗祭のことについて
知っておかなくてはなりませんね。
ここでは、新嘗祭の起源やお供え物について詳しい
解説をまとめました。
目次
新嘗祭の起源とお供え物を詳しく解説
新嘗祭の起源はかなり古く、古事記に記録が
残っているというほどです。
ただ、古事記に書かれている記録は、「あくまで
伝説」と言われています。
古事記の中では、天皇ではなく「天照大神が執り
行った」とされています。
ですからやはり、人間である天皇が現実に行った
ものではないのですね。
実際に、当時の天皇が新嘗祭を行い始めたのは、
飛鳥時代だと言われています。
初めて新嘗祭を行ったとされる天皇は皇極天皇で、
大化の改新の数年前とされています。
ただ、なぜ新嘗祭を行うようになったのか、その
きっかけに関しては謎のままです。
「古事記を参考にした」という説もあるよう
ですが、真相は定かではありません。
でも、日本は元々稲作が盛んな国でしたから、
その豊作を祝い、祈り、感謝する儀式があっても
おかしくないかもしれません。
又、「飛鳥時代(崇峻天皇5年(592年)から
和銅3年(710年))以降、毎年欠かさず
新嘗祭を行っていた」というわけでも
ないようです。
毎年行うことが定着したのは、元禄時代(1688年
から1704年)以降であると言われています。
なので、飛鳥時代から見てみると、毎年行う
ようになるまで、かなり期間が空いていますね。
ちなみに、新嘗祭では、その年の穀物の収穫を
神様に感謝する意味で、五穀のお供え物をします。
神様に、「米・麦・豆・アワ・キビ(もしくは
ヒエ)」の5つをお供えするのです。
収穫したものを神様に捧げることで、「今年も
これだけ作物が豊富に実りました」と報告し、
感謝するのですね。
そして、お供えした穀物は、下げた後、みんなで
おいしくいただくことになっています。
神様と食べ物を共有することで、より神様との
絆を深めていくという意味があるのです。
新嘗祭の献上米とは何?
新嘗祭に欠かせないものの1つに、「献上米」と
いうものがあります。
献上米とは、文字通り、新嘗祭の時に、天皇陛下
に献上するお米のことです。
この献上米は、皇居内で作られるのではなく、
選ばれた一般の農家で作られます。
でも、天皇陛下が召し上がるお米ですから、普通
の栽培をするわけではありません。
まず、田植えは、その農家の人だけでなく、神官
も一緒になって行います。
それだけ、献上米が神聖なものであることが
わかりますね。
そして、穂刈の時は儀式を行い、稲刈り後は神官
が稲を預かり、収穫祭を行います。
その後、精米し、それを1升分だけ桐の箱に入れ、
紫の風呂敷で包んで、天皇陛下に献上されます。
紫という色は、最も高貴な色とされており、
献上米の神聖さがここでもうかがえますね。
最後に、献上米を作った農家に対して、宮内庁
から書状が授与されます。
更に、大切にお米を育てることで、感謝の気持ちを
忘れないようにするという意味もあるようです。
献上米は、神聖さだけでなく、感謝の気持ちの
象徴でもあるのですね。
実際、これを育てる様子を見ると、お米を粗末に
できなくなるそうですよ。
ちなみに、この献上米は、最近ではインターネットで
購入することも可能となりました。
ただ、かなり値段が高く、人気があるのですぐに
売り切れてしまうようです。
でも、大切な人の贈り物などには、縁起が良くて
素敵かもしれませんね。
まとめ
新嘗祭は、毎年11月23日に天皇陛下が執り行う
収穫祭であり、感謝祭です。
その年の豊作を神様に報告・感謝し、次の年の
豊作を祈る、大切な宮中行事です。
新嘗祭には、米をはじめとした5種類の穀物を
神様に捧げます。
そして、そのお供え物を下げた後は、それらを
大切にいただくことになっています。
又、新嘗祭には、選ばれた農家によって献上米が
作られます。
出来上がった献上米は、桐の箱に詰められ、紫の
風呂敷に包まれて、天皇陛下に献上されます。
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