徳川13代将軍! 家定と篤姫はラブラブだった!? 篤姫との子供は?

江戸幕府13代将軍・徳川家定は、少し前までは、あまり知られていない将軍の1人でした。

しかし、宮崎あおいさん演じる大河ドラマなどで妻・篤姫が知られるようになってから、篤姫の夫である徳川家定も歴史に興味のない一般の人にひろく知られるようになりました。

それでは、徳川家定と篤姫の夫婦の仲は、どのようなものだったのでしょうか。又、諸説あると言われている、徳川家定の死因とはいったい何だったのでしょうか。

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徳川家定と篤姫の子供は? 夫婦仲はラブラブだった?

徳川13代将軍! 家定と篤姫はラブラブだった!? 篤姫との子供は?

徳川家定と篤姫の子供は?

最初に、徳川家定とその妻・篤姫との間には子供がいたのかどうかについてお話していきます。

徳川家定と篤姫との間には、子供は生まれていません。篤姫との間にはもちろん、他の妻との間にも子供は生まれていませんでした。

徳川家定は、篤姫を迎える前、2人の正室を迎えています。しかし、彼女たちが2人共、若くして亡くなっているため、子供を作ることができなかったのです。

更に、徳川家定は、生まれつき病弱であったため、子供を作りづらかったのではとも言われています。

篤姫が徳川家定の元に嫁ぎ、その2年後に家定が急死してしまいます。そのため、篤姫と過ごした期間は短く、子供を作ることができなかったようです。

さて、徳川家定は妻の篤姫と、夫婦不仲だったという説も流れていますが、これは本当でしょうか。

実は、篤姫は、薩摩藩藩主・島津家のスパイではないかという説があります。島津家では、後の15代将軍となる一橋慶喜を跡継ぎに推薦していたそうです。

そのため、その後ろ盾を作るために、養女である篤姫を将軍家に嫁がせたのではないかと言われています。

このことから、「徳川家定と篤姫は不仲である」という説が出来上がったそうです。しかし、この説の真相は定かではなく、現在はこれを否定する説の方が強いようです。

逆に、家定が篤姫を妻として大切にしていたとされる逸話もいろいろあります。例えば、自作の菓子を篤姫に振るまったり、当時は高級品だったミシンを篤姫に贈ったりしていたそうです。

このようなエピソードを見ると、お互いに信頼し合う夫婦関係であったとも考えられますね。

徳川家定の死因とは?

徳川家定は篤姫と結婚してから、わずか2年後、35歳という若さでこの世を去ってしまいます。

徳川家定の死因には色々な説があり、暗殺説まで浮上しているようです。では、徳川家定はホントに暗殺されたのか?本当の死因とは何だったのか?

まず「暗殺説」ですが、結論から言うと、これは考えにくいのではないかと言われています。

なぜ暗殺説が浮上したのかと言うと、家定の死の前に、彼の世継ぎ問題が起こりました。ここで、世継ぎとして一橋派を強く推していた勢力が、一斉に処罰を受けました。

その結果、一橋派を強く推していた勢力の残党が、徳川家定を暗殺したと推測するむきもあるようです。

しかし、将軍を暗殺したのであれば、その直後、極刑に処せられた人物がいたはずです。でも、そのような刑を受けた人物がいなかったそうなので、暗殺説は考えにくいと言われています。

最も有力な説は、「家定の持病である脚気が悪化した」というものです。脚気は、ビタミンB1が欠乏する病気で、悪化すると、末梢神経に障害が出たり、心不全を起こしたりする病気です。

実際、脚気が悪化したことによって、命を落としてしまう人もいるようです。

徳川家定も、長年脚気を持病として持っていたため、それによって亡くなったのではないかと言われています。

他には、「当時流行していたコレラで亡くなった」という説もあります。徳川家定が生きた幕末の時代は、コレラで亡くなる人がかなり多かったそうです。

脚気が持病だった家定は、栄養分が欠乏しがちな体質であるため、免疫が弱いと考えられます。そのため、「感染症であるコレラにかかりやすかったのではないか」という説が浮上しています。

まとめ

徳川家定は、篤姫との間にも、他の妻との間にも子供をもうけていません。

家定と篤姫には不仲説が流れていますが、お互いにリスペクトしあう夫婦であったとも言われています。

時代背景もあってか、いろいろな説がささやかれる徳川家定の死因ですが、病死であったという説が有力のようです。暗殺説もあるようですが、この説に関しては噂の域を超えないそうです。

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