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松平春嶽の子孫は断絶!?慶永は坂本竜馬の恩人ってホント?

松平春嶽の子孫は断絶!?慶永は坂本竜馬の恩人ってホント? 偉人・歴史
松平春嶽の子孫は断絶!?
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大河ドラマ「西郷どん」が人気を博していますね!毎週欠かさず観ているという方も多いのではないでしょうか?

字面だけではちょっと理解しにくい幕末の事情も映像で観られれば理解も早いですよね。

ところで、「西郷どん」に出てくる歴史上の人物。それぞれなんとなく把握できていますか?

あまり聞いたことないという人物も中にはいるのではないでしょうか?

そこで今回は、大河ドラマ「西郷どん」にも登場する、賢い福井藩藩主、松平春嶽(慶永)についてご紹介していきます!

松平春嶽の子孫は現代にもいるのか?坂本龍馬の恩人といわれう理由はなんなのか?

詳しく紹介していきます。

目次

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松平春嶽の子孫は現存する?明治の元号の名付け親は春嶽ってホント?

松平春嶽の子孫は断絶!?慶永は坂本竜馬の恩人ってホント?

松平春嶽の子孫は断絶!?

 

松平春嶽こと松平慶永(1828-1890)は、江戸幕府末期から明治時代初期に活躍した

福井県の大名です。

 

大そう頭の働く人物で、民に優しく、常に最善を求めて奔走した立派なリーダーであったことから幕末の四賢候の一人に数えられる人物でもあります。

 

松平春嶽は、田安の徳川家第三代当主、徳川斉匡の八男に生まれます。

 

その後、福井藩第十五代当主、松平斉善の養子となり、斉善亡き後福井藩の第十六代当主の座に就きました。

 

藩の財政状態が苦しければ、自ら倹約を実施し、服装も質素な木綿の着物しか身に付けなかったと言います。

 

領内視察は頻繁に行い、民の生活水準をチェックし、民の幸福度を高めるために日々努力を惜しみませんでした。

 

 

人の意見を良く聴き、叡智を駆使して、藩を治めていました。

 

身を律した謙虚な態度、寡黙な性格は民にも愛され、非常に優秀な指導者であったと

言われています。

 

そんな松平春嶽には子供はいたのでしょうか?
DNAは脈々と受け継がれて子孫は現存するのでしょうか?
気になりますよね。

 

松平春嶽には、なんと子が十二人もいました!

 

夭折した子も何人かいるようですが、松平春嶽の長男慶民にも子供があり、その人物は靖国神社で宮司をしていたそうです。

 

名を松平永芳といい、靖国神社で初めてA級戦犯の合祀を実施した人でもあります。

 

松平永芳は2005年に亡くなっており、子供もいなかったようなので、ここで血は絶えています。

 

しかし、春嶽の他の子の方はまだ続いているようなので春嶽の子孫はまだ残っていると言えそうです。

 

ところで、春嶽の功績は幕末のものが多いですが、明治時代の幕開けの準備にも大きく貢献していたのをご存知でしょうか?

 

平成ももうすぐ終わりということで、次の元号が論議されていますね。

 

どんな元号になるのでしょうか?

 

 

「明治」という元号を選ぶ際にも何度も話し合いの場が持たれています。

 

最終的には、岩倉具視が松平春嶽を名指しし、候補をいくつかに絞り、

くじを作るよう命じたそうです。

 

そのくじを天皇が直々に引いて明治が選ばれたというわけです。

 

 

春嶽は「明治」という元号の名付け親とまでは言えませんが、明治という元号の選別に携わっていたことは確かです。

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松平春嶽は坂本竜馬の恩人と言われる理由とは?

松平春嶽は、よく坂本竜馬を助けた人物として紹介されることがあります。

 

そもそも藩主(大名)という身分の松平春嶽と脱藩浪士の坂本竜馬が対等に話し合い、友情を育んでいたということ自体が驚きです。

 

身分差など関係ないとする松平春嶽の懐の広さを感じずにはいられません。

 

勝海舟経由で坂本竜馬と知り合った松平春嶽は、竜馬の持つ志や人間性に惹かれ、友情を育みます。

 

よほど竜馬の人となりに惚れ込んでいたと見え、竜馬が神戸海軍塾を設立しようとしていた時にもポーンと資金の五千両を用意してあげています。

 

その五千両は、恐らく春嶽が苦労して倹約して貯めた大金なのではないかと思うのですが、その大金を名もない浪士にただ貸ししてしまう春嶽は凄いです。

 

更に、春嶽は竜馬が興した亀山社中の支援もしています。

 

一体いくら竜馬にお金をつぎ込んだのでしょうか?

 

こんな具合に、色々な場面で坂本竜馬は福井藩藩主の松平春嶽に助けてもらっているのです。

 

まさに恩人ですね!

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まとめ

いかがでしたでしょうか?

 

若くして福井藩藩主の座に就き、多くの民を救ってきた素晴らしき

当主、松平春嶽。

 

その素晴らしいDNAと血は子孫に脈々と受け継がれています。

 

情報があまりなかったので分かりませんが、松平春嶽の血を引くものは今でもいるようです!

 

江戸時代は藩主として、大名として活躍し、明治以降は政治家としてその手腕を評価されていました。

 

「明治」という元号選びにも参加していたというのですから驚きです!

 

「平成」の元号の次の元号、松平春嶽だったらどんな候補を挙げてくれたでしょうか?

 

 

 

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