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徳川家康について説明するには?!小学生も分かる簡単な年表の作り方

徳川家康について説明するには?!小学生も分かる簡単な年表の作り方 偉人・歴史
徳川家康について説明するには?!
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徳川家康について、まず思い浮かぶのは、江戸幕府を作った人ですね。

征夷大将軍になり、それから200年も続く江戸幕府を開いた初代江戸幕府将軍、
徳川家康の人生はどんなだったか知っていますか?

歴史の教科書には登場しない、江戸幕府を開くまでの家康の歩み、気になりますね!

そこで今回は、徳川家康について簡単な年表も交えて、ご説明します。

目次

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徳川家康について年表で分かりやすく!家康は何をした人?

徳川家康について説明するには?!小学生も分かる簡単な年表の作り方

徳川家康について説明するには?!

 

徳川家康についてと言えば、江戸幕府を開いた人。初代江戸幕府将軍ですね。ところで、家康が江戸幕府を開き、将軍の座に就いたのはいくつだったか知っていますか?

なんと61歳です!決して若くはありません。

60年間の下積み時代を経験して、待ちに待って将軍の座を手に入れたということですね。

 

それでは、家康の人生を年表で振り返ってみましょう。

 

 

・1542年 三河(現愛知県)の松平家に生まれる。

・1547年 母と生き別れ、織田家の人質になる。

・1549年 織田家と今川家の人質交換。

家康は今川家の人質になる。

・1557年 16歳で瀬名姫と結婚する。

・1560年 桶狭間の戦い(今川VS 織田)

今川が織田に敗れたことで、

家康は今川家の人質から解放

された。

・1562年 岡崎城主として織田信長と同盟を結ぶ。

(清州同盟)

 

・1566年 徳川家康に改名。

・1568年 復習を果たすべく、今川家を討つ。

・1572年 三方ヶ原の戦い(徳川VS 武田)

家康が敗れる。

・1575年 長篠の戦(武田VS 織田)

家康は織田連合軍に参加し、

三方ヶ原の戦いのリベンジを果たす。

武田軍は織田軍に敗れる。

・1582年 本能寺の変

織田信長死去。

・1584年 小牧長久手の戦い(秀吉VS 家康)

家康は戦に勝つも秀吉が優位に立つ。

・1586年 家康、秀吉に臣従する。

・1587年 大納言に就任。

・1590年 本拠地を江戸に移す。

・1600年 関ヶ原の戦い(石田VS 徳川)

・1603年 征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。

・1605年 三男の秀忠に将軍職を譲る(退位)。

・1614年 大坂冬の陣

・1615年 大坂夏の陣

・1616年 病死(享年75歳)

 

人質になったり家臣になったりと家康の人生はめまぐるしいですね。

 

60歳まで待ちに待った割には、将軍になってすぐにその座を息子に明け渡しています。

 

意外と執着心がなかったということなのでしょう?それとも将軍は徳川家の世襲制ということを固めたかったからなのでしょうか。

 

頭の良い家康ですから後者の方が可能性が高そうですね。

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意外!徳川家康についてのエピソードは名言にも!実は短気者だった?!

徳川家康と言えば、「鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス」に見られるように、忍耐強い性格をした人だと言われることがありますね。

 

確かに、上にまとめた年表をみても、いつクーデターを起こしても良さそうなところを家康はじっと天下を取れるタイミングを伺っていますね。

 

「今はその時ではない」と判断すれば、甘んじて人質にもなり、仕えたくもないリーダーの家臣になるなど、自分を殺していたことが分かります。

 

忍耐力があったから出来たことというよりは、こうした出来事の中で自然と忍耐力が培われたと言った方が正しいような気がします。

 

 

さて、その忍耐力がまだそれほどでもなかった頃のエピソードとしては、家康は非常に短気な人物として恐れられていたと言います。

 

「鳴かぬなら・・・」の将軍様のイメージとはかけ離れていますね。

 

ちょっとでも追いつめられれば、短気を爆発させ、あまりも感情が昂ぶっていると、

「切腹だ!切腹だ!」とわめいて、部下を困らせたというエピソードも聞かれます。

 

また、喧嘩を素通りされた時には、相手が穏やかであっても殴りかかったとか。

 

なるほど、なかなか感情的な人だったのですね。

恐らく、若い頃にいっぱい短気を起こして、いっぱい失敗も経験してきたのでしょう。

 

歳を重ねてからは、無駄に怒ることもなくなり良い将軍として天下を治めたというわけです。

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まとめ

いかがでしたでしょうか?

 

徳川家康は、江戸幕府を開いただけの人という薄っぺらい人間ではありません。

 

幼くして最愛の母と離れさせられ、長く人質としての時代を過ごすなど、乱世の時代にあって、決して穏やかな少年時代を過ごせたわけではないのです。

 

苦労を積み重ね、待ちに待って、ようやく60歳にして人生の華を迎えたのでした。

 

 

 

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